2019年7月30日、日本競馬会の至宝であったディープインパクトが亡くなりました
享年17歳
馬としても少し早すぎる死でした
今日は追悼の意を込めて、ディープインパクトの足跡を追ってみたいと思います
目次
- 誕生~デビューまで
- デビュー戦~弥生賞
- 史上2頭目無敗の三冠馬の誕生
- 始めての敗戦 そして世界最高峰への挑戦
- ディープインパクトの凱旋門賞
- 帰国、最強馬の証明、そして引退
- 種牡馬としての活躍と急逝
- 夢は次世代へ
目次
誕生~デビューまで
ディープインパクト(牡)は、2002年3月25日に北海道早来町のノーザンファームで生まれました。
父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘアで毛色は鹿毛でした
場長は生まれたディープを見て、特段良い馬だとは感じたりはしなかったと語っています。身体も小さく、柔軟性はあるものの非力さを感じる、というのが仔馬だったころのディープに対する共通の認識だったようです
そのディープは0歳の時のセレクトセールで金子真人オーナーに7,000万円で購入されます。その吸い込まれそうな瞳から、多くの衝撃を与えてほしいとディープインパクトと名付けられたのです
2歳になったディープは、その年の9月に栗東の池江泰郎厩舎に入厩します。厩務員は市川厩務員でした。
翌月、始めて坂路で軽めの調教を行った際、予定していたタイムよりだいぶ、かなり早い時計が出たので市川厩務員は「これはバテバテに」なっているだろうなと思いながらディープに近づくと、
ディープは息も乱れておらず汗も大してかいていなかったのです。
(これはただ者ではないかもしれない)
市川厩務員はそう思ったそうです。
また、デビュー戦の手綱を取ることになっていた武豊騎手が初めて調教で跨った際も「これはヤバイかも」と市川厩務員に語ったそうです
デビュー戦~弥生賞
ディープは2004年12月19日、阪神競馬場の芝2000mでデビューします。
その調教内容が戦前から話題を呼び単勝1.1倍の圧倒的人気に押されます。
競馬をご存知の方なら分かるでしょうが、どんなに人気でも競馬では負けてしまうことがあります。特に全馬初出走の新馬戦では不確定要素が多くどんなに人気でも馬券的にも怖い面があります。
・・・しかし、ディープにはそんな心配は杞憂に終わります。
圧倒的一番人気に応え、上がり3ハロン(600m)33.1秒で走り2着のコンゴウリキシオーに0.7秒差をつける大差で勝利します。
ちなみにこの2着に負けたコンゴウリキシオーもなかなか強い馬で、後に重賞3勝、G1安田記念でも2着に入るほどの馬でした
あっという間に突き抜けて勝った内容を見た市川厩務員は「派手に勝ちすぎて消耗が心配だった」と語っていますが、レース後すぐに息が戻ったので安心したそうです
新馬戦を快勝したディープはその約1か月後、京都競馬場で行われる若駒ステークスに出走します。
鞍上の武豊騎手はその数日前に「凄いことになるから見ててください」と言っていたそうです。
実際、そのレースはディープの「凄さ」を見せつけるレースになりました。
レースは最後の直線を向くまでほぼ最後方。しかしそこから3F33.6秒の脚を使いまた圧勝。ほとんど瞬間移動したかのようなそのスピードに、多くのファンが
(これは凄い馬かもしれない・・・)
と思ったのです
前走の内容から、ディープはここでも圧倒的な人気を背負います。
結果はアドマイヤジャパンに首差にまで迫られたものの、ディープ自身は鞭も使わず完勝という感じでした
そして、皐月賞、三冠ロードに入っていきます
史上2頭目無敗の三冠馬の誕生
以前からあまりゲートの出が良くなかったディープインパクト。
三冠初戦の皐月賞では出遅れ(スタート時に躓いてしまう)をしてしまいます。
当然、一番人気を背負っていましたが、落馬してもおかしくないほど躓いていたのでファンもかなり驚きました。
体勢を立て直し、いつものように後方からレースを進めるディープ。
そして、3コーナーから4コーナーにかけて、
ディープの代名詞とも言える大マクリで先団に取りつくと
直線では余裕で抜け出し一冠目を制覇しました。
レース後、鞍上の武豊は記念撮影で指を1本立てました。
これはかつての三冠馬シンボリルドルフの騎手岡部幸雄が行ったものと同様。
ダービーで2本、そして菊花賞で3本と・・・・
つまり事実上の三冠宣言とも言えるパフォーマンスです。
さらにインタビューで「まるで飛んでいるようです」との名言も。
ここから飛ぶ、という代名詞も定着していきます
そして、競馬の祭典、日本ダービー
最高の晴れ舞台でディープは最高のパフォーマンスを見せます
例のごとく後方からレースを進め直線では、確実に大外を選択し、それでも2着のインティライミに5馬身差。
色鮮やかなターフの上を駆け抜けるその姿は素晴らしく美しかったのを覚えています
上がり33.4秒。レースタイム2分23秒3のレコードレコードタイム(タイ記録)
記念撮影では、武豊は2本の指をたてました。
秋の始動戦は神戸新聞杯から
当時は2000mで行われていましたが、ここも圧勝。
無敗のまま三冠最後の舞台菊花賞へと駒を進めます
菊花賞でも断然人気のディープ
応援馬券もあっての事でしょうが、単勝は1.0倍の元返しというオッズ
単勝買ってもリスクのみという爆発的な人気でした(勝っていても換金しなかった人も多いでしょう)
レースは好スタートを切ったものの、そのせいか逆に最初の3コーナーで掛かり気味になりなだめるのに一苦労するシーンも。
最後の直線に向いたとき、先に抜け出していたアドマイヤジャパンとの差はおそらく6~7馬身ほど。アドマイヤジャパン(横山典弘騎手)は、ハッキリ言って完璧な騎乗をしており、普通なら間違いなくアドマイヤジャパンが勝っていたレースでした。
・・・しかし、ディープは普通の馬ではありません。
残り100m近くで捕らえると、最後は2馬身差をつけて優勝。
ゴールの際の「世界のホースマンよ見てくれ!!これが日本近代競馬の結晶だ‼︎」
という 馬場アナウンサーの実況には心が震えました。
レース後の記念撮影には三本の指がたっていました
始めての敗戦 そして世界最高峰への挑戦
三冠獲得後、陣営は年末最後の大レース、有馬記念への出走を決めます
ファン投票、オッズ、共に1番人気に押されます
しかし、ディープはここで国内初にして生涯唯一の敗戦を喫してしまいます
ディープを破ったのはハーツクライ
ハーツクライはここまでG1でも度々好走を繰り返してきましたが、勝ち切れずにいた馬。しかし当レースでは鞍上にルメールを迎え、今までとは一転した先行策で才能を一気に開花させました。ハーツクライは更に翌年、ドバイシーマクラシックを制覇し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSでも3着とワールドワイドに活躍した名馬です。
武豊は「今日は飛ばなかった」と語りましたが(確かに初の古馬戦であったり疲れもあったのかもしれませんが)、素直にハーツクライがディープに近い力を持っていたとみるべきかもしれません
しかし、この敗戦でディープの歯車が狂ったりはしませんでした。
年明け緒戦の阪神大賞典は最後は流すほどの楽勝。
悠々と天皇賞(春)に向かいます
天皇賞でも圧巻のパフォーマンスを見せてくれます
いつものように後方でレースを進め、3コーナーから進出開始。
4コーナーでは既に先頭に立っていました
通常では考えにくい戦法であり、普通ならどう考えても最後には脚が止まってしまうような仕掛けです
それでもディープは止まりませんでした。
それどころか、完璧なレースをしたリンカーン(横山典弘騎手)を最後は突き放し、最後は3馬身半の差をつけて快勝。
まさに常識破りのレースを見せたのです。
そして、次走の宝塚記念は戦前から壮行レースと銘打たれているかのようでした
この時点でディープの凱旋門賞挑戦がほぼ決まっていたのです
単勝1.1倍の人気。
馬場を気にする声もありましたが、いつも通りにレースを進め、終わってみれば2着のナリタセンチュリーに4馬身差をつける圧勝劇で自ら壮行レースに花を添えました。
この宝塚記念の結果を受け、当時の世界ランキング芝長距離部門で日本馬初の世界一位にも選ばれたのです
そしてついに世界最高峰、凱旋門賞へ向かうことに
ファンの間でも、ローテーションはどうなるのか
馬場適正はどうなのか
期待と不安が入り混じっていました。
しかし、当時のファンの率直な気持ちを言えば、
「ディープならおそらく凱旋門賞だって勝てるだろう・・・」
というのは、口にせずとも多くの人が思っていたと思います
・・・そして、陣営は、
まさかの凱旋門賞直行というローテーションを選ぶのです
ディープインパクトの凱旋門賞
凱旋門賞でのライバルは以下の通り
前年の凱旋門賞勝ち馬で愛ダービーも勝っている。ここでは最有力と見られていた
前年凱旋門賞4着にしてBCターフ勝ち馬。本年は3戦3勝と、有力馬の1頭
プライド
牝馬にして本年サンクルー大賞でハリケーンランを破るなど一線級の活躍
本年の4月にようやくデビューだが、パリ大賞典、ニエル賞など主要なレースの勝ち馬
などがいた。
特にハリケーンランとシロッコが強敵とみなされ、これにディープインパクトを加えた3頭が人気を形成。
この3頭は強力と見られ、回避馬も増え、レースは最終的に8頭立てと史上2番目の小頭数で行われることとなった
そして運命のスタート
いつもと違い、好スタートを切ったディープは2番手追走という今までにないレースを強いられる格好となりました
レースは欧州らしく淡々と流れ、途中で動いたシロッコに2番手を譲り、3番手で最後の直線を迎えます
残り400mまで追い出しを我慢し、残り300mの時点で先頭に立ちます
ここから突き放すはず・・・多くのファンがそう思い、期待しました
・・・しかし、思ったほど伸びがありません
そしてディープをマークするように追い出したレイルリンクが外からディープを捕らえます。
必死に抵抗するディープ
それでも、追い込み有利な展開になったこともあり、レイルリンクの脚色は衰えず、ディープは最後に追い込んできたプライドにも交わされ、3着でゴールしました
←左がディープ 中央がレイルリンク
ゴールした瞬間、真っ白になったことは忘れられません
それくらいディープの勝利を信じていたし、応援していたんです
武豊も「今でも夢に見る」と語るくらいで、相当ショックだったのだと思います
「たられば」にはなりますが、前哨戦を使っておけば・・・と考えたのは私だけではないと思います
その後、ディープは禁止薬物のイプラトロピウムが検出されたとフランス・ギャロが発表。失格ということになりました
(個人的にはディープに勝たれたくなかった欧州競馬の陰謀の可能性もあると思う。それくらいディープインパクトという馬は強かった)
帰国、最強馬の証明、そして引退
帰国後、ディープの次走はジャパンカップに決まります
と、同時に年内での引退も決まります
来年の凱旋門賞再挑戦を期待したファンは残念だったと思いますが、これだけの馬ですし、次の仕事もあるのでしょうがないのかもしれません
ジャパンカップは遠征の疲れもあったとは思いますが、
本来の強さを見せ快勝。
普通なら惨敗してもおかしくないのに、ここでG1をあっさり勝ってしまうあたり、他とは性能が違うという証左なのかもしれません
有馬記念がディープの引退レースになりました
その引退レースで武豊が「生涯最高のレースが出来た」と語るほど完璧なレースで圧勝します
定番の後方からのレースで、4コーナー付近で先団に取りつき、直線は末脚を爆発させての勝利
最後は流しながらゴールするも、2着のポップロックには3馬身差
もしかすると、このレースでディープは完成したのかもしれませんね
レースと引退式を終えたディープは、約50億円のシンジケートが組まれ、種牡馬となります
この50億円という価格は、日本の種牡馬としては史上最高価格になっている
種牡馬としての活躍と急逝
ディープは種牡馬になってからも活躍をします
自身が走ったからといって、それが確実に遺伝されるかは分からない競走馬の世界
実際に産駒がまったく走らないという例も少なくありません
なのでディープは本当に稀有な存在だと言えます
以下は産駒の中で特に活躍した馬を上げておきます
マイルチャンピオンシップ、NHKマイルカップ など
ダービー など
ダービー など
勝鞍は省略させていただき、G1のみになっています
他にもマリアライトやトーセンラー、ヴィルシーナなどがおり、種牡馬としても大成功の部類に入るでしょう(さすがにディープのお父さんの域には達していないでしょうが・・・)
2012年~2018年まで7年連続でリーディングサイアーに輝いており、種付け料も4,000万円ほどと高騰していました
しかし、2019年3月、首に痛みを見せたため、以降の同年の種付けを中止。
その後手術が行われたが、7月30日手術は別の個所の骨折が原因で予後が不良と診断され、安楽死の処分がとられました
享年17歳多くのメディアがディープの死を報じ、ファンが悲しみにくれました
夢は次世代へ
2019年令和元年
この年のダービーを勝ったのはロジャーバローズ
12番人気の低評価を覆して勝った同馬の父はディープインパクトでした
その後、屈腱炎が判明し、引退
予定していた凱旋門賞挑戦はなりませんでした
しかし、今年は
キセキ(父ルーラーシップ)、そしてフィエールマン(父ディープインパクト)が凱旋門賞挑戦を予定しています
(ブラストワンピースは未定)
ディープは多くの産駒を残してくれましたが、まだ夢は終わっていません
ディープインパクトという馬ですら勝てなかった、凱旋門賞を勝つ、という夢も残してくれました
今年の凱旋門賞も、おそらくかなり強力ライバルが待ち受けていると思われます
もはや生ける伝説となりつつあるエネイブルを筆頭に、クリスタルーシャンや3歳新興勢力も侮れません
いつか日本の馬が凱旋門賞を勝った時、
スピードシンボリから始まった挑戦の歴史の中にディープインパクトの名前があったことも必ず思い出すことでしょう
レースも再び見るでしょう
そしてその悔しさを思い出し、勝利に涙するのではないでしょうか
ディープには
「ありがとう」
としか言えません
ディープの残してくれた夢は、辛い現実世界の中に、一筋の希望を与えてくれたと思います
その夢を叶えてくれるのは、どんな馬なのでしょう・・・
私個人的には、
キズナ産駒が走りそうだなと思っています
夢見過ぎですかね?
でもその日が来るのを楽しみに待っています