男女同権が叫ばれて久しい現代、男性と女性は本当の意味で同権になったでしょうか?
男性が家事をするのは当たり前、女性が働きに出るのも当たり前、そして自分の家を買うのが立派な人生・・・そんな「一般常識」があります。
しかし、それらは本当に私たちを幸せにしてくれるものでしょうか?
核家族は格差社会を原点であり、男女平等は男女それぞれの真の役割・特性を見抜かねば何の意味もありません。
今回はそんな洗脳とも言える「一般常識」から脱却し、本当に幸せな家族を考えてみたいと思います。
子どもは大人になったら独立して自分の城を持つ、それが立派な人生・・・・
今でも通用しそうな一般常識です。
しかし、これは本当に「立派な人生」でしょうか。
もちろん、そうとも言えますが、これが唯一の道ではないことだけは確かです。
このような生き方も当然アリですが、これは実は企業側が消費促進のために仕掛けたプロパガンダ。一人一人が別々の生活拠点を持てば、部屋代、電気代、水道代を始め、テレビや家具、も新たにそろえなくてはなりません。食費だって、一人分作るより数人分一緒に作った方が安上がりです。
家族が一緒に生活すれば、住居も家具も生活費も共有できます。世帯収入も大幅に増えます。(結果、家の資産は増えます。)
つまり、核家族推進(洗脳)は企業側の都合による部分が非常に大きかったのです。
もっと言えば、おしゃれなマンションに住むだとか、流行に乗るだとかも、サザエさんなんかのファミリーアニメも洗脳の一種といえます。
今は小泉政権下での竹中平蔵による派遣社員の推進(竹中平蔵は派遣会社を持っておりこれで大儲けした)などにより、可処分所得(実際の手取り)が減り、実家に戻らざるを得ない人も増えているようですが、家族だからこそ助け合って生きるのは当たり前とも言えます。
今後、ますます格差は拡大していくでしょうから、シェアリングも良いですが、家族と同居する、という選択肢もぜひ考えてみてはいかがでしょうか?
核家族化と日本の高度経済成長からの長時間労働は、家庭での仕事・家事の外注化を生み出しました。日本は個人主義のヨーロッパなどと比べても家事の外注化の割合が高いと言います。
子どもを産み・育てることを「負担に思う」若い女性はアンケートでは約8割にもなり、保育機関に預ける世帯の数も預ける時間も年々増加。7時から20時まで計12時間以上子どもを預ける延長保育の利用者も増加、都市部では夜間保育を行っている保育機関もある。学校に入ってからも塾や習い事でほぼ一日家の外におり、子育てはほぼ全てを外注化されているのが現状だ。
親子が共に過ごす時間は、子どもにとって最高に幸せな時間であるし、もっとも大切な教育であるわけだが、だからと言って外注化の全てが悪い訳でもないでしょう。
そもそも人類の子育ては長らく共同作業で行われていました。
子育てを経験したことのある方なら分かると思うが、そもそも育児を一人(ワンオペ)で行うのはかなり無理があります。
それなら高度な技術を持つ人や適性の高い人にお願いして、自らは得意なことをやり社会に貢献するのは理にかなっています。
(とは言っても、子どもにとって親の変わりはなかなかいません。自分が子どもを持つことに適性があるかどうかを考えるのも大切でしょう)
ともかく、より多くの人と協力して生きていくことはもっと考えられても良いのではないか、ということです。
核家族化の原点、押し付けられた理想社会という思想の原点にあるのが「男女同権」という考え方です。
多言語メディア・大紀元に掲載された「男女同権思想は今世紀最大の嘘である」というコラムを一部抜粋します
こじれた男女関係の原因はたくさん考えられる。
その中でも突出しているのが男女同権の考え(フェミニズム)なのである。
女性も男性のように、後腐れのない自由なセックスができると教えたのは男女同権思想である。
「男に頼るな」と教え、夫と子供は自分のキャリアの邪魔になると提唱したのも男女同権思想だ。男女同権思想では、家族を作るよりも、外で働くことを奨励し、女らしさをバカにする。
それは、性の価値が平等という意味ではなく、男女の性を「同じ」とする概念である。
男女同権思想は、もし両親や社会が許容すれば、性は変換可能であると言う。
女性は男性と同じ事ができるし、同じ選択ができる。
男女同権主義者によれば、性別の違いはすべて社会構造(文化)に由来するのであり、身体的な相違は何の関係もないのである。
これまで、欧米社会は性別の違いを無視してきた。
その代わりに、私たちは誤った考え(思想)で人生を送ろうとしてきたのである。
女性は、(そんなことは望んでいないのに)後腐れのないセックスを楽しめるフリをしてきた。
女性も男性と同じく、結婚して子供を作ることを延期しても大丈夫だというフリをしてきた。
女性は、性的にも、またはその他の面においても、はっきりと男性とは異なるにも関わらず、これらすべてを演じてきたのである。
すべての不仲の原因は、男性と女性が同じ立場を主張することで、互いに争うからなのである。
つまり愛し合わないからである。
永続的な愛をみつけたいのなら、男女には身体的そして精神的な差があると認め、お互いがそれを尊重すべきなのだ。
男女の違いを見つけて、それを非難しあうようなことをしてはいけないのだ。
あなたが求めているものは、男女が非難しあうことではなく、信頼しあい愛し合うことであるはずだ。
まとめますと、
✅男女同権は男女が全く同じであるべきだ、という誤った思想である
✅本質的に男女には明らかな違いがあるはずである
✅全てが同じだと思う事で本来起こらない諍いや争いが生まれてしまう
ということです。
男女の違いを考えたことのある方にとっては、ピンと来る点も多いのではないでしょうか?
大まかに言って、男女は適正も違うし思考方法も、話し方も、求めているものも違います。
これで同一の価値観を持って社会を形成しようとすれば、矛盾が出てくるのは当たり前と言えるでしょう。
人によってそれぞれ違いがあるように、一人一人幸せだと感じる物は違うはずです。
画一的に「お金があれば幸せ」ということはないはずです。
よくよく考えれば多くの人はお金が欲しいのではなく、お金で買える物や時間が欲しい訳です。なので本当に欲しいものはお金ではないはずです。
家族にしても同様です。
家族が欲しいと思う人はホンの少数でしょう。
そこで得られる安らぎや笑いが欲しいのが本当の所でしょう。
だとすれば、その為にやることはなんでしょう?
子どもを託児所に預け、自分は特にやりたくもない仕事をやることでしょうか?
もちろん、仕事をするな、金を稼ぐなといっているわけではありません。
なんでもそうですが、努力する方法・方向を間違えば目的のものは手に入らない、ということです。幸せな時間が欲しければ、そのための努力が必要なのです。
そして、その方法は(あなたのように情報を探せる人なら)もう解っているはずです。
まぁ私がアドバイスできるとしたら「テレビは観ない方が良い」ですかね(笑)
皆さまの幸せをお祈りしております