この世に生を受けた限り、絶対に「死」も避けることは出来ません。
この「死」に関して、みなさんはどのように受け止めているでしょうか?
今後の社会では、「死」というものについて大きく考えを変えられてしまうことになるかもしれません。
その理由のひとつが”安楽死”。
さらにそれに付随して行われるであろう”不死”と言う名の人間のデータ化。
我々が、洗脳されている大きな根源かも知れない、「死」について考えてみましょう。
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この写真を見て、何の機械か分かる人はいらっしゃるでしょうか?
今回の話の流れからして想像はつくでしょうが、これは、
「Sarco(サルコ)」という安楽死装置です。
サルコは、スイスの医師フィリップ・ニチケ氏がオーストラリアの「イグジット・インターナショナル」と共同で開発されたものです。
「自ら死ぬ権利」を推進するフィリップ医師と、死ぬ権利推進団体であるイグジット・インターナショナルの発表によれば、
スイスでは同装置の使用が法的に問題が無いという承認を得たという。
もともと医師による自殺ほう助が合法となっているスイスでは、昨年(2021年)に約1300人ほどの人が安楽死の道を選んでいる。
※ちなみにスイス国内では自殺ほう助をする団体が2つある
今後、この「サルコ」が加わることにより、より、利用者が増える可能性もあるだろう。
サルコは、カプセルの中に入り、いくつかの質問に答えると
カプセル内に窒素が充満し、そのままわずか数分で安らかに眠りにつくそうだ。
このサルコ自体が生分解性の木質素材で出来ており、カプセル自体をそのまま棺桶として流用することも可能になっている。
同団体などは、様々な特典を付けてこれをユーザーに販売していく計画を持っているそうだ。
人工調整のためとも噂される”安楽死推進”。
これをすんなり行えるようにつけられるオプションが”不死”。
ようするに、サイバー空間にアバターのような形で人間をデータ化して残すというものです。
データ化された場合、肉体はありませんので病気や怪我で苦しむことはなくなります。
お腹も減らないし、寒暖などの天候の心配もいりません。
死ぬことが無いので、自分の好きなことをしているだけで良くなる・・・というような甘い言葉がささやかれることが想像されます。
この”事業”に取り組んでいる会社も、もちろん存在する。
例えばアメリカのベンチャー企業Netcomeもその1つだ。
Netcomeでは脳だけを取り出し、長期冷凍保存する技術の開発に取り組んでいる。
計画では、将来コンピュータに脳の記憶がアップロード可能になった時点で意識をサイバー空間内で再生させ、コンピュータやネットワーク上でアバターとして生き続けられるようにするというのだ。
NetcomeのCEOロバート・マッキンタイア氏は次のように語る。
「将来の実現を目指し、人間の脳を保護するプロトコルの開発に取り組んでいる。脳の保存は準備可能だが、実際に脳内情報をアップロードできるのは50~90年後になるだろうと考えている。」
この”不死”を実現しようとしている人は日本にも当然いる。
東京大学大学院工学系研究科准教授・渡辺正峰氏もその1人だ。
渡辺准教授の考え方は、脳の情報をアップロードするというより、脳とデバイス(機械)を一体化してしまうというものだ。
これにより、本人が死を感じないまま、意識はサイバー空間に移行することになるという。
「たとえ人間の脳が終わりを迎えても、途切れることなく意識はそのまま機械に引き継がれる」(渡辺氏)
これを実現するためには、数か月から数年にも及ぶ外科的手法(開頭手術など)が必要と語っているが、こういった手法の1つとも言えるのが以前当ブログでも紹介したBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)である。
⇒BMIアーカイブ
実はこのBMIと同じ方向性の商品は現在でも普通に販売されています。
もちろん、指示を出せる人間がその気になればいつでも幻聴など聞かせることができる性能を持っているものです。
他にも、この脳内情報のサイバー空間への移行を「商品」にしようと開発をしている会社は他にもあります。
あとは利用者の考え方次第になるわけですが・・・
あなたは、どう思いますか?
「死ぬこと」は殆どの人が恐れています。
曰く、全てが終わる。
曰く、永遠の別れ・・・
それは、小さいころから様々なメディアや大人たちが言い続けていることなので、自然とそう思っている感じている方も多いと思われます。
しかし、本当にそうでしょうか?
少なくとも、体験としてそれを語っている人はいないでしょう。
また多くの宗教が生まれ変わり(輪廻転生)を謳っていたりします。
時に前世の記憶を持つ人もいると言います。
前世療法という医療もあります。
迷信、デタラメ、思い込み・・・
その一言で片づけるのは簡単ですが、真実はどうなのでしょう?
仮に、生まれ変わりが本当であるなら、人間はもともと不死の存在であると言えます。
肉体という物質が寿命を持っているだけに過ぎないということです。
だとすれば、現世での「死」は恐れるものではないのかもしれません。
ただ、1つ間違いなく言えるのは、
この死の恐怖を、最大限に利用しているのが宗教であり、医療であるということ。
場合によって、政治もこれを利用しています。
(コ口ナなどまさにそれです)
もちろん、
死んでも大丈夫!
などと言うつもりはありません。
私自身は輪廻転生はあると考えていますが、だからこそ生き抜くことに意味があるし、勉強することに意義が生まれるのだと思っています。
しかし、安易に死を恐れるのは、生きることの本質を見失わせる可能性もあるのではないでしょうか?
「死」は、絶対に避けることが出来ない宿命です。
そこから目を逸らさず、真剣に考えることで、真実に向き合う事が出来るようになるのかもしれません。
今回の内容が、将来、スタンダードになるかもしれません。
よく考えて、どういった意味で生きるのか
どんな意味で死を迎えるのか
考えておく必要があると思います。