以前、「未来を見通す最強の予言(①~③)」という記事を書きました。
その時登場した予言者の中に、ルドルフ・シュタイナーという人物を紹介しました。
アーカイブでも書いた通り、シュタイナー自身は予言者、というわけではありません。
ただ、彼はアカシックレコード(アーカーシャ)にアクセスできる能力を持っており、そこで地球や人類の歴史を確認してきたため、今までのことやこれからのことを理解していたようなのです。
※アカシックレコード・・・この世のすべての情報が集まっている図書館のようなもの
もちろん、そんなものは荒唐無稽だと一笑する人もいるでしょう。
とはいえ、彼は超一級の学者でもあり、今も残る教育法(シュタイナー教育)や農法(バイオダイナミック農法)を開発したという事実もまたあるのです。
そして、恐ろしいくらい、未来を見通していたということも・・・
そんなシュタイナーの残した言葉を、今一度見て見たいと思います。
注:シュタイナーの言葉は非常に難解(わざと難しく書いていた)のため、筆者の方で分かりやすいように訳して記しています。
まず初めに断っておきますが、シュタイナーは”予言者”ではありません。
従って、予言として言葉を残したことはないのです。
ただ、彼の残したものが”未来で実際に起こった”というだけなのです。
まずは、そんなシュタイナーが語った”予言”というものに対する言葉を聞いてみましょう。
予言というものが持つ意味は、基本的に好奇心などを満足させるためのものではありません。予言とは、私たちが未来に向けて生きていくための活力を与えてくれるものです。
ただ、現代では現実的な利益ばかりが評価されます。そのため、人々は予言に対しても客観的な判断を下そうとはしません。
しかし、人間が進歩した際には予言も活力にすることが出来るようになります。
すなわち、「確かに予言にはマイナスの側面もあった。しかし予言の中には、未来をより良いものにしようとする核が含まれている。その核は好奇心を満たすためのものではなく、私たちに意志の力を与えてくれるものだ」と。
このような意味で、
シュタイナーの言葉を予言として聞いてみるのは、意味のあることではないでしょうか?
人々はある能力を通して、広範囲にわたって機械あるいは機械的なものを動かすことが出来るようになります。
振動の曲線(波動)を知ることによって、人間はほんのわずかな動作によってそれらを動かすことが出来るようになるのです。そしてそのことによって今日、人間の力が必要とされる多くの仕事が純粋に機械の力によって取って代わられることになるでしょう。
不満を抱く人々の集団が反抗的な行動を起こしても、それらは麻痺させられてしまうことでしょう。
おそらく、シュタイナーはAIによって多くの仕事が取って代わられることを語っているのでしょう(シュタイナーは100年以上も前の人間なのでAIなどという言葉はなかった)。それにより、多くの失業者が出ることも語っていますし、それにより、反対運動が出たとしても、麻痺させられてしまう、と言っています。
政府や大企業に、うまく受け流されてしまうのか、マスコミの洗脳によって危険人物扱いされてしまうのか、それとも・・・
これに関しては次のような言葉が現代を象徴しています。
将来、個人と個人が争うようになり、次いで個人が2つに分裂して、その2つが争うようになるであろう。
今現在も、右翼と左翼、資本主義と共産主義、与党と野党、成功と失敗・・・などのように、人々は2つに分けて考えてしまう癖をつけられてしまっています。
本当はそんなことはないはずなのに・・・ということを思い出し、違う道もあるのだと将来への道標にしていただきたいのです。
比較的近い未来において、現代の科学技術はある種の限界を迎えます。そして、この限界に達した時点で、科学技術はある方法によって自らを消滅させてしまうことになるでしょう。
人間は将来、機械的であり力学的でもある存在を精神的なものに向ける方法を本能的に知るようになります。その結果として、今の技術や科学は荒廃するでしょう。
しかしながら、人間の自我にとって、この荒廃は非常に役立ち、歓迎すべきものとなるでしょう。
シュタイナーは今のままの社会では、いずれ限界を迎えることを示唆しています。
確かに現代は、お金を稼ぐために人を騙す人が横行し、自分の利益のために人の心を踏みにじる人も多く存在します。そしてそれは今の社会が作りだしている側面もあります。
心の病を抱える人が増えているのもそれを証明しています。
だからこそ、人々が間違った方向に進んでしまっていることに気が付き、修正することで、全く新しい社会が作りだせると言っています。その結果、技術的に衰退(したように見える)するかもしれません。
ただそれは、人間の成長・進化にとってはとても大切なことになるのです。
シュタイナーは決して、未来の社会を悲観してはいないのです。
今日行われているような授業が続いてゆくならば、人間はあまりにも早い時期に老け込んで、年老いてしまうだろう。
大人は子どもの理解できるところまでわざと下りていこうとする。この実物教育は何が間違っているのか?
それは極めて重要な生活法則が見過ごされていることにある。
現代教育は実物主義的であり、こういったやり方にまで程度を落とせば、子ども達の大きな人生の光、人生の力は失われてしまうであろう。
今の教育の多くが詰め込み式なのは事実です。
もちろん、シュタイナー教育を始めとした新しい様々な教育方法(イエナプランやモンテッソーリ、サマーヒル、サドベリーなど)が出てきています。しかし、それらはまだまだ極少数派であり、ほとんどの人が経験するであろう公教育はやはり詰め込み式になってしまっています(教師としても決められた期間に決められた量を教えなければならないのでそうなってしまう)。
しかし、この従来の教育では、子ども達の持つ力を存分に発揮させることは難しく、まだ人間の現実的生活に則していない、というのです。
確かに、生活に必要とは思えない授業内容も多々ありますし、そしてそれをテストまでしています。本当の意味で人間の力になっているかは難しいところです。
現在子どもとして生まれている人間の中に、そして次の世代へ、さらに次の世代へ、と繋がって成長していくということ、つまり私たち大人が予言者のように教育するということが重要なのです。
私たちが次の世代の課題はなんなのかを予見する、ということは大切です。
それが世界の真ん中にあることなのです。
未来の教育は、規範学であってはなりません。未来の教育は真の人間芸術となるべきなのです。未来の教育は人間全体の認識に基づくものとなるでしょう。
教育者は、子どもの本性が何を求めているのかを知らなければなりません。そして、子ども達はそういう本性に従ってこそ、はじめて生きることに強くなれるのです。
シュタイナー教育の根本的理念は、”自由への教育”です。
自由な教育、ではありません。
自由への教育です。
つまり、自由に生きることのできる人間を育てることこそが教育であるということです。
シュタイナーの言う自由という概念に関しては詳しくは彼の著書「自由の哲学」をご覧いただきたいのですが、ごく簡単に言うと
自分のやりたいことと、やるべきことが同じ方向を向いている、ということです。
これが実現出来たら、人生が輝きを増すことは間違いないのではないでしょうか?
そして、子ども達の将来がぜひそうであってほしいと、心から思います。
長くなってしまいましたので、次回に続きをお伝えしたいと思います。
今回は社会と教育に関してでした。
次回は、健康と医療について、
そして心と精神について
最後に悪魔について、を書いていこうと思います。
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