「タイムイズマネー(Time is money)」。誰もが聞いたことのある言葉です。
この格言はアメリカ建国の父の一人としても知られるベンジャミン・フランクリンが残した言葉だと言われています(他に当時のビジネスマン達の流行語だったという説もある)。
非常に有名な言葉であり、多くの人がこれを大切な教訓として扱っているのではないでしょうか?
しかし、この言葉すら洗脳の為に使われている・・・と言ったら信じますか?
今回はこのお金と時間がいかに洗脳に使われているか、という話です
お金と時間は古くから比較されてきた
「タイムイズマネー」という言葉が登場したのは1700年代で、前述したベンジャミン・フランクリンが「若き職人への忠告」という名著に書き残しています。
ただお金と時間を比較する格言のようなものは実はずっと昔から言われてきているようです。
以下をご覧ください
✅紀元前5世紀頃・雄弁家アンティフォンが「出費の中で最も高価なのは時間である」
✅紀元前4世紀頃・科学者テオプラストスは「時間は高価な出費なり」
✅1400年頃には人気伝道師ドメニコ・カヴァルカが『精神の修練』の中で時間を無駄に費やすことを批判し、イタリアの学者レオン・バティスタも『家族論』においてお金と時間の倹約を書き残しています。
✅シェイクスピアも喜劇『十二夜』において、時間について「宝なる時間の浪費」を指摘するシーンを描いています。
✅さらに中国でも、前漢時代の思想書である『淮南子(えなんじ)』にも
「聖人不貴尺之壁 而重寸之陰(聖人、尺の壁を貴ばずして寸之陰を重んじる)」
と記載されています。
※例えわずかな時間であっても1尺の玉より貴重であるという意
ハーバード大学東アジア言語・文明学部の栗山茂久教授は、これらの言葉は、明治時代の教科書が教訓として記していた「時間はお金よりも尊い」という考えと一致することを指摘しています。
お金と時間の洗脳
しかし、「タイムイズマネー」は、上記のものと大きく異なる点があります。
それはお金と時間の価値の比較です。
「タイムイズマネー」を具体的に書くと、
時間はお金のように貴重な物であり、大切にしなければならない
ということでしょう。
鋭い方はもう気づかれたかもしれませんが、これを数学的に表すと
時間=お金
になります。
これまで多くの賢人が残してきた
時間>お金
という価値観とは違うことが解ります。
気が付けば我々の周りにはお金の価値を強調する情報が溢れています。
新しい商品であったり、TVなどのマスコミであったり。ネット上でよく見かける成功法則だとかビジネスの成功法則なんかも、多くがお金を稼ぐことの重要性を謳い(煽り)、お客を集めています。ビジネスを学ぶなら、彼らの情報商材を買うより、そのやり方を学ぶ方がもしかしたら良いかもしれませんね。
確かに物を買う時も、お金をたくさん出した方が良いサービスは受けられることは多いです。
しかし、薬や食べ物、衣類など、実は自分で勉強して作れるようになれば、信じられないほど安価で高品質のものが手に入ります。私の知る範囲でも特に医療に関しては、病院に掛からない方が良いのではないか・・・という場合もあります。
先ほどのハーバード大・栗山教授は「タイムイズマネー」の概念について以下のように語っています
「時は金なり(Time is money)」はもはや従来の「時」ではない。(中略)光陰(時間)は矢の如く去っていくものであり消費、そして余程注意しないと浪費されるものであった。(中略)「若き職人への忠告」は逆の構図を想定する。「時は金なり」においては焦点は消費から蓄積に変わる。
「若き職人への忠告」においてベンジャミンは、
お金も少額でも貯めて行けば大金になるように、時間も貯めていく(例えば勉強を積み重ねていく)ことで成功に近づいていくと書いています(これはイイコトを書いています)。
しかし、これはこのような背景(知識)がなければ、洗脳の言葉として非常に強力に働きます
お金という洗脳はパノプティコンを生み出す
パノプティコンとは全展望型監視システムのこと。イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが設計した刑務所や類似した建物のことです。上の図で言うと、真ん中の建物が監視塔であり、周りの部屋が監獄になります。少人数で多人数を監視できるのが特徴です。
ジェレミ・ベンサムはこの監視システムは、人道的な見地から作ったと言われています。
管理(監視)者の労働を減らし、能率的に囚人に労働を行わせ、囚人の死亡率の減少・管理者の収入増加を目的としたからです。
ジェレミ・ベンサム
フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、著書「監獄の誕生」において、パノプティコンを用いて管理社会を批判しています。
人間は自分を監視して、自分で自分を服従する存在に作り上げてしまうところがある。その際、見えない権力・圧力が働き、人はそれを取り込んでしまう。
分かりやすく言うと、
TVで学者がマスクの必要性を説いていたからマスクはしなければならないと思い込み、マスクをすることを絶対視してしまったりすることです。
酷い場合は、マスクをしていない人を批判したり、追い詰めたりします。
フーコーはこのように、自分自身を監視し、それを疑う事もしなくなった人を「従属する主体」と称しました。
お金に関しても同じことが言えるでしょう。
お金は価値のあるもの、あれば何でも買える、自由な時間がおくれる、不安なく過ごせる・・・
この思い込まされた価値観のせいで、多くの人が閉塞感を感じているのではないでしょうか?
「タイムイズマネー」は現代のパノプティコンなのです。
価値の取り違えが不幸を呼ぶ
別にお金に価値が無いと言っているわけではありません。
特に資本主義である現代は、多くの人がお金に価値を置いた生活を送っているのですから、そういう側面があるのは認めないわけにはいきません。
私がオススメしたいのは、自分の本当の価値観を知ろう、ということです。
お金を稼ぐために、人生の多くの時間を消費したり、嫌なことを何年も我慢したり、人によっては相手を騙してまでお金を得ようとします。
しかし、本当にそれは「幸せ」でしょうか?
✅お金を得ることが自分の幸せだ
✅お金こそすべてだ
そういう人はその生活で何も問題ないと思います。むしろ、自分の好きなことを人生の中心に持ってきていて素晴らしいと思います。
でも、そういう人ばかりではないでしょう
スポーツが好き、本が好き、プラモデルが好き、写真が好き、楽器を演奏するのが好き、お話をするのが好き、瞑想するのが好き・・・・
本当に多くの好き=幸せのカタチがあるはずです。
そしてそれを満喫するためには、如何に現代が資本主義・拝金主義の世の中だといっても、そんなに大金が必要な場合は多くないと思います。
私は本を読んでいたり、友人と趣味である将棋をしながらおしゃべりしているのが幸せです。実はこのブログのように文章を書くのも大好きです。なので対して金はかかりません。本は中古や図書館でだいぶ済みますから。
とはいえ正直、まだまだ金に引きずられてますけどね・・・
でも人の幸せは、本当に人それぞれ違う、ということは覚えておいて損はないでしょう。
畑仕事が好きなのに、お金儲け(お金を稼ぐ)に人生の大半を費やして幸せでしょうか?
見栄や体面のために貴重な楽しむ時間を失って納得できるでしょうか?
でも、時間の大半を仕事に使わなきゃ生きていけない!という方もいるかも知れませんが、知恵を絞り、勉強を重ね、的を絞ればなんとかなるのも世の中です。
いずれこの点についても記事を書いてみたいと思います。
自分にとって、本当に価値の高いものはなんなのか?
それを考えるきっかけになれたら嬉しいです