「あなたは幸せですか?」
こう聞かれたらなんて答えますか?
自信を持って「幸せだ!」と言えるでしょうか?
内閣府による調査では、日本人の幸福度は平均6.6(0がとても不幸、10がとても幸せの11段階)という結果が出ています。国民性や人間心理を考えればこの数字は決して高くはないでしょう。
「幸せだ!」とハッキリ言える人生とはどんな生き方でしょう?
世界一幸せな国を参考に考えてみましょう
世界一幸せな国から学ぶ幸せとは 幸せになりたい人のための幸福論
世界一幸せな国・・・といってブータンを思い浮かべた方もいると思います
確かにブータンは2005年の国勢調査において、97%の国民が幸せ、という結果が出ています。しかし、この調査はわずか3択で行われていました。それも①とても幸せ②幸せ③あまり幸せでない、の3つです。①と②が”幸せ”に分類されます。
その5年後、2010年に行われた国勢調査では選択肢が0~10の11段階で実施された結果、平均が6.1でした。なんと日本よりも低かったのです。ブータンはGHP(国民幸福度)を高めることを国家の目的にしているユニークな国ですが、世界一幸せな国であるとは(現状では)言えないのです。
実際に、主観的幸福度が最も高い国はフィジー共和国です。
世界58カ国で5万人以上を対象に行われた調査によると、フィジーの「純粋幸福度」は第1位の85pt。2位のナイジェリアは84ptと接戦ですが、3位オランダは77ptと2国が頭一つ抜け出している格好です。ちなみに日本は58か国中23位。
そして幸福度を測ると言われているデータはもうひとつあります。
国連開発計画(UNDP)のいうところの「人間開発指数」といわれるものです。
違いは、前述の(フィジーが1位の)調査は「あなたは幸せですか?」という主観的・感覚的アンケートなのに対し、人間開発指数は「失業率」・「自殺率」・「医師率」・「男女格差指数」・「報道自由度」・「民主主義率」などによって評価されるもので、つまりは国連が「幸せってこういうものでしょ?」と勝手に定義してそれに見合っているかどうかを調べたものです。人間開発指数は客観的幸せとも言えるでしょう。
この調査では、187ヶ国中、フィジーは88位。
日本が17位ですから、フィジーは日本よりだいぶ下になります。ちなみに項目別にみてもフィジーが上位に来るものはありませんでした(全て真ん中より下)。
しかし、主観的、つまり一人一人の気持ちの中ではフィジーはまぎれもなく世界一幸せな国なのです。
このことから分かるのは、国連だとかマスコミが言うような一般的な「成功」や「失敗」は、幸せを構成する要素としては実際は極めて小さいピースである、ということです。
では、人は「幸せ」を感じることとは一体何のなのでしょう?
幸せな人生にする秘訣とは
では、フィジー人はどんな生活を送っているのか?
どんなところが幸せなのか?
それを見ていきたいと思います。
ポイントは以下の4つです
①シェア
②いい加減
③今現在
④つながり
順にみていきましょう
①シェアすること
フィジーには「ケレケレ」という言葉(文化)があります。意味は”貸して”とか、”お願い”とか、”手伝って”といったようなものです。この「ケレケレ」により、共有することがフィジーでは当たり前なのです。置いてあれば人の服を(勝手に)着る、お店の会計でお金が足りない人がいたら代わりに払ってあげる、強盗に入り家主を脅し金を巻き上げると、家主にも取り分を渡す・・・日本人からするとちょっと考えられないような常識があるのです。
このシェアリングの最大のポイントは、持たざる者(貧乏な人)が富める者(お金持ち)から当然のようにケレケレできることです。もらう方も、与える方も、それが自然な生き方なのです。
そうなると、当然のようにフィジーでは将来に不安を持つ人が少ない。なぜなら、必ず助け合って生きていけるからです。シェアは、フィジーのようなレベルまで行けば未来の不安(将来の生活の不安)が無くなってしまうのです。
また、フィジーの人たちが行う、自分個人のことだけの利益より他人など複数の利益のために行動する方が幸福を感じることが大きくなるのは、心理学的にも証明されていることなのです
②いい加減
いい加減、別の言い方をすれば「適当」、「自由」、「余裕」などともいえるでしょう。
例えば、お店の人に何か頼んでも平気で忘れてしまいます。レストランで注文と違うものが出てくるのも当たり前。かと思えばいきなり余っているからとサービスしてくれたりします。パトカーですら私用でガンガン使います(その為、警察官でもパトカーの使用制限がある)。極めつけはパスポートが国の怠慢でしばらく作れなくなったり、その日が誕生日だからと言って犯罪者を釈放したり・・・
つまり、みんなが適当、いい加減だから、過度の期待もしないし、受け入れ、許してあげられるのです。
日本は真逆ですね。サービスが悪いとすぐに文句を言ったり、SNSに愚痴をこぼしたりします。金を払っているんだから当然、という考え方もありますが、自分がサービスする側に回った時は過剰なサービスを求められ、それによってストレスを感じる・・・
どちらが良いのかは解りませんが、日本人の生真面目な所がブラック企業に利用されているのは事実ですよね
③今
今に思考を置くこと、それが人生を充実させるコツである、というのはどこかで聞いたことがあると思います。
フィジーの人たちはそれを自然に行っています。
もちろん、フィジーの人だって仕事で失敗して叱られる時もあります。しかし、彼らはそれをその日のうちに会話のネタにしてしまいます。失敗もシェアして楽しみます(ただし反省もあまりしないので同じことをよく繰り返すそうです)。
哲学者スピノザも「後悔することもまた罪である」と言っています。
過去にとらわれず、未来に不安することなく、今現在を楽しむ。
日本の「KAIZEN(改善)」も素晴らしいですが、彼らの生き方・文化もまた素晴らしいと思えます
④つながり
世界一フレンドリーな人々・・・それがフィジー人です。
初めてあった人と会話をしたり食事をしたりするのは当たり前。初体面の人に恋人を紹介したり、保証人になってくれと頼んだり(実際になっちゃう!)、さらには人の家の子どもも簡単に話を付けて養子にもらったりします。ある意味、子どもすらシェアです。
繋がり合うフィジーでは、老人ホームが極めて少ないのです。あっても入居者の90%はインド人だと言います(歴史上、フィジー共和国にはインド人が多い)。
フィジー人の老人たちは、家で家族や近隣の人たちと楽しく過ごしているのです。
目の前にいる人たちと助け合いながら
今こそ変わる時
こんなに素晴らしいフィジーですが、問題が無い訳ではありません。
1つには健康問題。今にフォーカスし、将来に不安のない彼らは、食べたいときに食べたいものを食べます。なので非常に肥満が多い(文化的に太っていることがマイナスにならないこともあるでしょうが)。糖尿病が国家的な問題になるほどです。
またこういった常夏の国は、歴史的に軍事国家に支配されてきた事実があります。フィジーにインド人が多いのはそこに理由がります。
しかし、今現在、先進国と呼ばれる地域では、資本主義も限界に達し、西洋のアトム的個人主義(超個人主義)がはびこり、将来の不安は消えません。あまつさえ、他人から奪うことばかり考えている人もいます。
これで本当に幸せになれるでしょうか?ハーバード大学の精神科医ジョージ・バイラント博士は「幸福とは愛である。それ以外の何物でもない」と断言しています。
少なくとも、人間開発指数などでは幸福は測れない。
そう考えるのは、私だけではないのではないでしょうか?
世界が大きく変わろうとしている今だからこそ、1人1人も変われるチャンスかもしれません。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日これからやろうとしていることをやりたいだろうか?」
このスティーブ・ジョブスの言葉を胸に、人生を考えて行きたいですね