前回の投稿から少し間が空いてしまいました。
今後しばらく諸事情で投稿頻度が減ってしまいます。その分、内容を詰め込んでいこうと思いますのでよろしくお願いします。
状況が許せば、またUPの頻度を上げていこうと思います。
気を取り直しまして、今書いているのが(書き始めたのが)2024年初頭になります。
元日から大きな災害もあるなか、私たちは今後どのように生きていくのか
社会をどうなっていくのか
それらを考えないわけにはいきません。
激動の時代・・・といいますか、世の中が大きく変わろうとしているのは間違いがありません。
各地の戦争・紛争、食糧危機、エネルギー問題、頻発する自然災害、格差社会、進むインフレ・・・
マスコミが報道するこういった問題に対処することも大切ですが、
一度、本質的なところに立ち返って、「人間として何をすべきか」ということも見つめてみる必要があると思います。
これは即ち、「人間とは何なのか」という問いでもあります。
人間とはいったいどういった存在なのか
何を目指して生きていくべきなのか
哲学的なこの問いについて考えてみましょう。
ホンモノはどこにあるのか!? 真実を見つける目と心を持つために!
人間は果たしてどういう存在なのか・・・
こういった旨の問いは遥か昔から繰り返されてきましたが、明確な答えなど出ていません。
もちろん、私にもその正答は分かりません。
しかし、様々な知恵や情報を探し、考えることはできます。
人類の歴史に名を遺す哲学者たちが全員同じ意見というわけではありませんが、
多くの哲学者が語っているのが
「人生に意味などない」
ということです。
そもそも私たち人間も自然の一部。
自然に意味があると考えられるでしょうか?
自然は雄大にして久遠。
常に存在してくれていますが、「なんのためにそこの在るのか?」という意味を見出すのは困難です。
我々人間にしても同様のことが言えます。
さらに根本的な方向へ進めれば、
「私たちの存在とは何なのか?」
という疑問にも突き当たります。
私たちはあらゆることを自分のフィルター(つまり脳)を通してしか認識することが出来ません。
いくら一般常識だ、当然のことだ、といっても、それもその人の頭の中のものでしかありません。
イギリスの哲学者アラン・ワッツは次のように述べています。
「(脳がなければ)世界には、光も熱も重さも硬さも動きも空間も時間も、他の想像できるいかなる特徴も存在しなくなる。こうしたすべての現象は、神経細胞(ニューロン)が一定の配列のまま振動が相互作用したもの、または処理されたものなのである。」
と語っています。
この言葉の真偽はいったん置いておくとして、
アランは、我々は認識・認知がすべてであると言っているのです。
有名な科学雑誌「ワンダーペディア」では次のように書かれています。
「1秒間に1100万個の刺激が、これら脳の経路を音を立てながら流れてゆく。脳には驚くほどの量の画像や音、匂いなどが一気にやってくる。それらを懸命にフィルターにかけ、どうにか対処できそうな40個ほどに情報を絞り込む。このように毎秒あたり40個ほどの刺激が私たちの”現実”となる。」
つまり、私たちは脳に入ってきているほとんどの情報は切り捨てており、必要だと無意識に判断した情報を現実と認識しているのです。
このような脳の機能をRASといいますが、
ここからも如何に我々が自分の見たいものだけを見ているかが分かりますし、
認識・認知が現実は、とてもかけ離れていることもよく解ります。
脳に入ってくる情報量の10分の1すらも人は認知していないのですから
さて、そうすると我々が正確に認知することができない「現実」の世界とは一体どんなものなのでしょう?
その「現実の世界」を少しでも知ることで、人間の存在の何かを得ることが出来るかもしれません。
ホログラム
この世はバーチャルリアリティである・・・
そんな言葉を聞いたことが、一度はあるのではないでしょうか?
この言葉は、あながちデタラメではないかもしれません。
我々の身体を構成する原子は、陽子と中性子(原子核)そして電子で出来ています。
この原子は間近で見てみるとスカスカだと言います。
原子1つの99.9%は空間で出来ているのです。物質としては1%の体積しかありません。
なので非常に小さい粒子を人間にぶつけると、貫通していきます。
ただ実際は原子核と電子の引き合う力があったり、電子が飛び回っていたり、波動性により電子の大きさが変わるため物が突き抜けるようなスカスカ状態にはないといいます。
しかし、基本的な大きさだけを見れば、人間の身体も、そこにある机も、パソコンも、虫も動物も植物もスカスカなのです。
また、先述の通り、脳によってどのように認識されるかで世界は違って見えてきます。
これは言い方を変えると、(脳が)どのように情報を処理・解析するかによって認識される(映し出される)ものが変わる、ということです。
モニターが情報処理された画像を映し出すように、私たちの眼に映る(とされる)ものは、
脳の情報処理によって行われているわけです。
モニターに映し出されない限り、認識することは出来ず、その世界は存在しえません。
本来ならスカスカである私たちの原子が、キチンとした形や触感を持って存在し得るのは、
私たちの脳がそれを認識しているからです。
認識をしなくなれば、そこに存在しなくなります。
つまりは、モニターと同様、私たちの認識が個々の世界を作り上げているのです。
1人1人の認識・認知があり、1人1人それぞれの世界・宇宙があるのです。
これは、人間とは、誰もが同じ価値を持っていることの証明でもあります。
人間はそれぞれが世界・宇宙を持っており、それぞれがその宇宙の創造主です。
肩書や地位による差異など、本来は在りえないのです。
私たちが普段当たり前に在ると思っている世界も、個々が認知している幻想にすぎないということでもあります。
ですから、バーチャルリアリティやホログラムという表現が正確ではないかもしれませんが、
私たちが現実だと思っている物質世界は、実は幻想・・・認知上の作られた世界と言えるかもしれないのです。
ちなみにスタンフォード大学のレオナルド・サスキンド教授は物質がホログラムではないか、という説に対し
「(物質をホログラムとすることは)かつては無謀な推測に過ぎなかった。しかしいまや物理学の日々の作業ツールにまでなっている。」
と述べています。
余談ですが、
AIの人間生成の技術は相当進んでいます。
写真では殆ど見分けがつかないくらいになってきています。
つまり、人間も作れる時代が近づいてきている、ということなのかもしれませんね
写真が本物の人間か、あるいはAIが作った物かを判別するサイトをご紹介します。
あまりの難しさに驚くことでしょう
全部見抜けたらスゴイ!
⇒どの顔が本物ですか? (whichfaceisreal.com)
海外のサイトです
本当の人間存在とは
では、今見えている世界や人間がバーチャルリアリティであるなら、人間の本当の存在姿はどういったものなのでしょう?
これを証明するのは困難を極めますが、
科学的に言うのであれば”波動”ということになるかもしれません。
例えば、先に書いたホログラムも、波動によって作られています。
レーザー光線を2つに分割し、一方は必要な情報を経由して映し出される場所(波動場)へ当てられ、
もう一方は直接波動場に当てられます。
2つのレーザーは波動場に干渉縞を作り出し、ホログラムとして浮かび上がるのです。
干渉縞(かんしょうじま)とは、特定の場所に物質を作り出すことだと言えば分かり易いですかね
地球が大きな波動場であるとすれば、我々も認知というホログラムで映し出されたものと言えます。
私たちが物質だと思っていたものが、実は幻想・・・波(波動)を認知したものであったかもしれないのです
このような考えは物理学では有力な考えではありますが、
まだまだ一般的であるとはとても言えません。
陰謀論者の戯言・・・というのが関の山でしょう。
しかし物質がホログラム・・・幻想であったとすれば、我々の本質とは一体なんなのでしょう?
現代科学が基本的に物質主義・唯物論から出発しているので、その深淵にはまだ届いていないのが現状です。
従ってデータやらなんやらでそれを説明することは現状では不可能ですが、
一般的にはこの「我々の本質とは」という設問に対しては
魂、という言葉が返ってくることが多いことでしょう。
当然、魂の存在も科学的には認められていませんが、
世界中にある多くの宗教・スピリチュアルの世界では、当然のようにこの魂が出てきます。
溢れるほど存在する新興宗教や、金儲け目的多発のスピ系は置いておいて、
世界の主流となっている宗教でも魂の存在は肯定されています(仏教ではそうでもないようですが)
宗教も、いまでは金儲けや権力維持や民衆洗脳のために使われていますが、
本来は人間の本質を探り、その奥深くにまで潜り込む学問のようなもののはずです。
その本来の宗教(ここでは便宜上宗教と言っていますが、宗教という団体自体がキリストやブッダからは否定されている)の在り方から考えれば、魂というものが人間の本質であるということを前提に考えを深めていく意味はあるでしょう。
人間の本質を探る学問が魂の存在を認めているのですから、それを基に人間の正体を見つけようというわけです。
さて、その魂とは、永遠のもの、不死のものとして語られています。
魂は決して死なず(肉体は物理の法則によって必ず崩壊する)、輪廻転生をしていく、というのが多くの宗教での考え方です。
輪廻転生の中でカルマ(業)を克服していくのが人間の目的とされます。
カルマを解消することによって、より上の次元へ・・・仏教的に言えば涅槃(ねはん)へと行けるようになるのです。
霊性の向上、という言い方もされますね。
カルマは1人1人違うものであり、克服する方法も、成長するタイミングも、個々によりバラバラです。
また、カルマが違うということは、学ぶべきことも違うということであり、
全ての人がそれぞれの価値観を持っているということです。
ごくごく簡単に書き換えると、
「より高い人間性を手にいれよう」
ということです。
困っている人を助ける、たくさんの人を受け入れる、多くを求めすぎない(欲望には限りがない)、自己欲に流されない、愛情を大きくさせていく・・・などなど
キレイごとのように聞こえますが、
実際、これらが出来るようになれば自分自身も間違いなく心から幸せになれます。
周り回って自分に返ってくる・・・などという慣用句のような意味ではなく、詳細は割愛しますが、欲望を制御したり、愛情を増やしたり、たくさんの人を受け入れれば、自身の幸福度がどんどん大きくなっていくのは科学的に証明されているのです。
幸せこそが人類の目的・・・・かどうかは分かりませんが、
少なくとも、幸せであるなら理想的ではないでしょうか?
現世利益という意味でも(笑)
魂だとかカルマだとかは置いておいたとしても、
より社会がよくなるために、
より1人1人が幸せになるためには、このような考え方がもっと広まっても良いのではないでしょうか?
内容スカスカなスピ系が広まるのは困りますが・・・
最後になりますが、
今後の社会は、より格差拡大が進み、厳しい時代になることが予想されます。
多くの人の生活は苦しくなっていきそうです。
しかし、考え方、生き方を変えることによって、自分らしい生き方はできます。
周りに愛と感謝を持っていけば、幸せは増大します
(ですがこういうことを言うスピ系にもご注意を!)
自分の本質を見つめ、これからも楽しく過ごしていきましょう。